4月28日 は”サンフランシスコ講和記念日” 真の平和に向けて


サンフランシスコ講和記念日は”4月28日”

1952年 4月28日 前年の9月8日に調印された「サンフランシスコ講和条約」が発効されました。

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4月28日

(写真:毎日新聞

それにより、太平洋戦争に敗戦した日本は主権を回復し、国際社会に復帰することができました。

そのため4月28日を「サンフランシスコ講和記念日」と制定されました。

ちなみにサンフランシスコ講和条約と平和条約は同じ意味のため、当サイトでは混同しないよう「講和」にしています。

太平洋戦争が終結してからサンフランシスコ講和条約まで

1945年7月26日にポツダム宣言が発表され、8月15日に終戦します。

4月28日

1951年9月8日に日本と48カ国の連合諸国との間で終戦協定が結ばれ、このときにアメリカ・サンフランシスコで署名されたことで「サンフランシスコ講和条約」と呼ばれるようになりました。

その後、1952年に「サンフランシスコ講和条約」が発行され、効果を持ち始めます。

そのため、国際法上では1952年4月28日が、本来の太平洋戦争の終戦日とされています。

サンフランシスコ講和条約の内容

サンフランシスコ講和条約は「ソ連」「ポーランド」「チェコスロバキア」の3カ国以外の連合国と、日本との間で調印されました。

イデオロギーの違いから、社会主義国家は調印に至らなかったと考えられます。

4月28日

【主な内容】
1.日本は朝鮮の独立を認め、台湾・千島列島・南樺太の領土を手放すこと
2.琉球諸島などは国際連合が預かり、その政治はアメリカが管轄すること
3.連合国軍の軍隊はすぐ日本から引き上げること(特例を除く)
4.日本は連合国に賠償金を払うこと(賠償金額については国同士で相談する)

この条約によって「米国による信託統治」「海外領土の放棄」などの戦後処理が規定されました。

そしてなにより、日本の主権が回復されたことによって、海外からの占領を免れることとなりました。

しかし、敗戦国として戦争の賠償をしなければならない義務はあり、本当の意味での主権回復には厳しい道のりが待っていました。

日米安全保障条約

サンフランシスコ条約の調印の後、日本はアメリカと「日米安全保障条約」を締結します。

日本は武力を放棄するため、共産主義国家から予想される攻撃をアメリカに守ってもらう必要があったからです。

4月28日

しかし、日本は資本主義国家であるものの、片側だけの勢力と条約を締結することに違和感を持つ者も多く、国会では日米安全保障条約を締結するか否かで、意見が二分しました。

結果としては成立し、アメリカ軍が国内に留まることとなりました。

しかし、このときに決められた「日米行政協定(日米地位協定)」は、国会ならず国民からも不満が溢れ、今日のアメリカ軍基地問題に直面しています。

日米同盟の背景

時を同じくして、アジアでは1950年〜53年にかけて朝鮮戦争が勃発します。

内容はある意味、資本主義国家代表のアメリカと、社会主義国家代表のソ連による代理戦争とも考えられます。

4月28日

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イデオロギーの違いから、アメリカとソ連は対立し、冷戦と呼ばれる緊迫した状態が続きます。

そのような状況下で、アメリカは韓国を支援し、ソ連は北朝鮮を支援することによって、朝鮮戦争が始まりました。

さらに、中国が社会主義国に加わり北朝鮮を支援、東アジア情勢はアメリカ側が不利な状況に追い込まれます。

アメリカとしては、これ以上社会主義国家が増えることを懸念したため、日本を資本主義国家にし同盟国にすることで、対外情勢を取り戻すことを狙いました。

これらの背景から、ソ連は日本とサンフランシスコ講和条約を締結しませんでした。

沖縄の米軍基地

上述したサンフランシスコ条約のとおり、沖縄はアメリカの管理下にありました。

4月28日

これは対アジア体制の効果があり、戦略拠点として沖縄の米軍基地は重要な位置にあります。

沖縄米軍基地は、後に起こるベトナム戦争において最大限に活用されたため、日本復帰が大幅に遅れてしまいました。

沖縄はサンフランシスコ講和条約の弊害を最も被っています。

ベトナム戦争

アメリカはベトナム戦争を引き起こし、ベトナムへの積極的な軍事介入を行います。

口実としては「ベトナムの社会主義化を警戒」していますが、結局はこの戦争もソ連との代理戦争でした。

北を支援していたソ連側及び北ベトナム軍と、南を支援するアメリカ及び南ベトナム軍(ベトコン)で分かれ、アメリカは北ベトナムを空襲します。

4月28日

早々に決着が着くと読んでいたアメリカですが、北ベトナムは「防衛」という大義名分を得て、アメリカ軍へ激しい抵抗を繰り返します。

その結果、アメリカとベトナムは両国とも大きな損害を出し、最終的には北ベトナムによる統一、1973年にパリ協定が締結し一応の終結、アメリカはベトナムから撤退しました。

4月28日

そもそも、ベトナム戦争に対するアメリカ世論は反対意見が多く、20年近くも戦果のない戦争に疑問を持っていました。

アメリカ撤退を受けて、1971年に沖縄返還協定が調印され、翌年に本土復帰となりますが、現在も多くの米軍基地が残っています。

こじれた北方領土問題

先述したように、ソ連はサンフランシスコ講和条約に調印していません。

それにより、現在でも日本とロシア(ソ連)との関係には軋轢が生じています。

その中でも「北方領土問題」に関しては日露関係修復への大きな障害となっています。

4月28日

サンフランシスコ講和条約の中に「千島列島・南樺太を手放す」と規定されていますが、千島列島に北方領土は含まれていないため、誤解が生まれました。

北方領土は日本古来の土地であったため、関係ない土地まで手放してしまったことに対して、今日でもロシアへ返還を求めています。

詳しくは2月7日「北方領土の日」をご覧ください。

4月28日

サンフランシスコ講和条約には、このような弊害も生まれてしまいました。

しかし、ここまで日本が平和になり、戦後発展したのはサンフランシスコ講和条約によることも事実です。

今後はアメリカと「経済のパートナー」として、新しい変化を模索し続ける必要があります。

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4月28日 は”サンフランシスコ講和記念日” 真の平和に向けて” に対して1件のコメントがあります。

  1. MIE より:

    サンフランシスコ講和条約があったからこそ、日本が主権回復出来たんですね。

    まだ解決してない不法占拠されたままとなっている北方領土問題。

    少しずつでも世界平和の為に私達一人一人が何をするべき考えなくてはいけませんね。

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