4月16日 は”ボーイズビーアンビシャスデー” クラーク博士が伝えたかったこと


ボーイズビーアンビシャスデーは”4月16日”

1877年 4月16日 「札幌農学校(現 北海道大学農学部)」教頭の「ウイリアム・スミス・クラーク」が 「Boys,be ambitious (少年よ、大志を抱け)」という言葉を最後に、北海道を去りました。

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4月16日

このことから4月16日を「ボーイズビーアンビシャスデー」と制定されました。

クラーク博士は、札幌農学校の初代教頭につき、植物学や自然科学、動物学の教授であり、それとは別にキリスト教も講じました。

”Boys, be ambitious”の意味

”Boys, be ambitious”には続きがあり、“Boys, be ambitious like this old man (この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ)”という本意が含まれていたとされています。

4月16日

「大志」と「野心的」ではニュアンスがかなり異なりますが、クラーク博士がどちらを本意にして言ったのかは明確になっていません。

クラーク博士はなぜ日本へ?

クラーク博士は20代の頃、ドイツのクラースト大学とマサチューセッツ農科大学の教授として、科学や農学を教えていました。

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4月16日

そのとき、クラースト大学で講義を受けていた新島襄の紹介により、1876年に札幌農学校の教頭として迎えられる話が舞い込みます。

自身は、1861年にアメリカで起きた南北戦争で教え子たちを失った経緯と、日本国内で起きた戊辰戦争を照らし合わせ、復興のために日本へ赴任する決断をしました。

そこで、北海道の農業や酪農のノウハウを授け、8ヶ月の滞在後、アメリカへ帰国していきました。

クラーク博士の帰国後

クラーク博士は、後年厳しい人生を送りました。

クラーク博士は帰国後、鉱山を買い占めたり大学を作ったり様々なビジネスを手がけますが、破綻してしまいます。

その出資者の親族から訴えられ、敗訴はしなかったものの、信用を失ってしまったとされています。

その9年後、心臓病により59歳で生涯を終えました。

4月16日

後年は辛い人生を歩みましたが、クラーク博士が北海道に貢献したことは言うまでもありません。

しかし、野心的であったことが後年の失敗に繋がるとは、皮肉な結果になってしまいました。

それゆえ、「大志」と変換して意訳されたのかもしれません。

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