2月28日 は”バカヤローの日” 馬鹿の語源や由来とは?

2月28日 2月

バカヤローの日は”2月28日”

1953年 2月28日 当時の総理大臣吉田茂が衆議院予算委員会にて、西村栄一議員の質問に対し「バカヤロー」と発言しました。

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2月28日

これにより内閣不信任案が提出され、1953年3月14日に衆議院解散となりました。メディアではこの解散を「バカヤロー解散」と連日取り上げ、それが由来となり、2月28日は「バカヤローの日」と呼ばれるようになりました。

なぜ「バカヤロー」と言ったのか?

吉田内閣の大蔵・通産大臣である池田勇人による「貧乏人は麦を食え」「中小企業の5人や10人自殺してもやむを得ない」などの度重なる問題発言が、国会で取り沙汰されていました。

2月28日

戦後の内閣は良くも悪くもふてぶてしさがあり、時代柄ある意味では逞しかったと言えますが、やはり一連の発言に品格を疑問視する議員も少なくありません。

吉田内閣が追い込まれる中で、1953年2月28日の衆議院予算委員会の国会で国際情勢についての答弁が行われます。

野党社会党の西村栄一議員が、日本の国際情勢の今後について質疑したとき、吉田茂首相の返答が「イギリス・チャーチルの引用である」と挑発します。

2月28日

「国際情勢について日本の総理大臣として答弁してもらいたい」と、皮肉を込めて再度問うと、首相が「無礼なことを言うな」と挑発に乗ってしまいます。

言葉の揚げ足を取り合った後、首相が「バカヤロー」と言った発言がマイクで拾われてしまい、発言を取り消すものの、国会は騒然となりました。

実際の答弁(議事録では該当箇所が「ーーー」に修正されています)

○西村(榮)委員

時間もございませんから、その程度にして、調査の結果わが国の法規、日本の利益になるような御回答を煩わしたいということをここに希望して次の質問に移ります。
過日総理大臣が国際情勢は今楽観すべき状態にあるという施政演説をなさつたのであります。私はこの政治感覚をほんとうに日本の施政の上に適用されるかどうかということを考えますと、これは明確にしておかなければならぬと思うのでありますが、総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか。

○吉田国務大臣

私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります。これは最も戦争か平和かという衝に当つておる当局者の言うことであつて、相当な根拠があつて言つておることであろうと考えましたがゆえに、戦争の危険は遠のきつつある。こう私は信ずる。こう申し上げたのであります。

○西村(榮)委員

私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承つておる。イギリス総理大臣の翻訳を承つておるのではない。あなたの国際情勢を楽観すべきであるという根拠は、イギリス総理大臣チャーチルの演説においてとられたというのであります。アイゼンハウアー元帥は就任以来楽観説を言つておりません。同時にアイゼンハウアー元帥が大統領に就任いたしまして以来、公式声明は国際情勢の緊迫を力説しておるのであります。同時にアイゼンハウアー元帥が当選して就任いたしまして以来、チャーチルの言動はかわつて参りました。チャーチルはアイゼンハウアーが大統領に就任いたしまして以来、国際関係は楽観すべきであるということはどこにも言つておりません。同時に私はここに問題になるのは、なるぼどヨーロツパの情勢は楽観すべく、一応の危機は緩和したかもしれません。しかしながらその危機の険悪な焦点は朝鮮に移つて来て、世界の危機は朝鮮にその焦点がしぼられて来ておる。そこで私は大臣にお尋ねしたいのであります。イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、ヨーロッパは緩和したが、朝鮮の問題を中心にいたしまして、風雲は極東に移りつつあるということをすなおに考えて、これに対して日本国家としては一体どうするのであるかということを、一九五三年の初頭に際して、日本の総理大臣に日本国民は問わんとしておるのであります。私は現国際情勢というものをすなおにごらんになつて、しかもわが隣国朝鮮に国際危機の焦点が移つておる、その中に立つて一体われわれはどうするのだということを、日本の総理大臣に国民が問おうとしておるのでありますから、私はこれに対して、やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります。

○吉田国務大臣

ただいまの私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁いたしたのであります。私は確信するのであります。

○西村(榮)委員

総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじやないか。(吉田国務大臣――なことを言うな」と呼ぶ)何が――だ。(吉田国務大臣「――じやないか」と呼ぶ)質問しているのに何が――だ。君の言うことが――だ。国際情勢の見通しについて、イギリス、チャーチルの言説を引用しないで、翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が――だ。答弁できないのか、君は……。

(吉田国務大臣「―――――」と呼ぶ)

○西村(榮)委員

何が―――――だ。―――――とは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて、―――――とは何事だ。取消しなさい。私はきようは静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある。

○吉田国務大臣

……私の言葉は不穏当でありましたから、はつきり取消します。

○西村(榮)委員

年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取消された上からは、私は追究しません。しかしながら意見が対立したからというて、議員を―――――とか、――だとか議員の発言に対して――だとか―――――とかと言うことは、東條内閣以上のフアツシヨ的思想があるからだ。静かに答弁しなさい。

(出典:第31号 昭和28年2月28日 国会議事録

「ーー」には「無礼」が入り、「ーーーーー」には「バカヤロー」が入ります。ちなみに「フアツシヨ的思想」とは「ファシズム思想」のことを表します。

この発言がメディアの格好の的となり、国内で波紋を呼びました。

もともと発言力が強い人物であったため、メディアからしばしば取り上げられていたことも影響しています。

懲罰動議の可決

社会党は、1953年3月2日に吉田茂首相の懲罰動議を提出、191対162で首相の懲罰動議が可決されました。

広川弘禅(ひろかわ こうぜん)派の30名が欠席したため、否決出来ませんでした。

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2月28日

民同派鳩山一郎と吉田茂には軋轢があり、政局不利と見た広川弘禅は鳩山側についたのです。

首相は広川弘禅を農相から罷免し、広川派を一掃しますが、野党による吉田内閣不信任案が提出されました。

そして、河野一郎・石橋湛山・広川弘禅が民同派に加わり「鳩山自由党」が結成され、3月14日内閣不信任案は可決、衆議院は解散されました。

吉田茂とはどんな人物?

戦後初の首相としてその手腕を如何なく発揮し、日本を復興した第一人者です。

カリスマ性や外交力は素晴らしく、GHQマッカーサーと対等に渡り合い、やがて信頼を得た人物でもあります。

国民からも人気があり、5期に渡って総理大臣に任命されました。

2月28日

歯に衣着せぬ発言でメディアに取り上げられることが多く、新聞では風刺漫画の題材とされることもよくありました。

かつて吉田茂が、政府統計から「餓死者が出るから食糧輸入を」とマッカーサーに要求すると「日本の統計は、ずさんだ」と責められたところ「戦前にわが国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争はやらなかったろうし、もし完備していたら、勝っていたかもしれない」と、皮肉を込めて返すユーモアを持ち合わせています。

2月28日

また、吉田氏は麻生太郎前総理大臣の祖父でもあります。

マスメディアに発言の揚げ足を取られるのは、先祖代々続いているように考えられます。

また、『ぼくのおじいちゃま』 学習院中等科1年 麻生太郎

ぼくはおじいちゃまをとてもいい人だと思っている。

大磯に行ってもいつもにこにこしておられるし、官邸でお会いしても笑ってらっしゃることが多い。

議会でむっとしているのは、ぼくが学校でつまらない時やむずかしい勉強の時、しかめつらするのと同じことで、あたりまえのような気がする。

まあ、怒るのは玉にきずだが、家にいらっしゃる時は、とてもごきげんがいい。

この間、官邸でいっしょにおやつをいただいた時、甘いものが好きなおじいちゃまは、モナカのあんこだけを食べて外側を残したりして、まるで子供のようだ。

それからぼくは、おじいちゃまの服装では和服が一番好きだ。

ゆったりとしてよくあい、白たびもきれいだ。声は特長があってとてもマネしやすいし、聞いていておもしろい。

頭ははげているからかわいく、はな眼がねや葉巻はおじいちゃまからはなせないものだ。

もし、おじいちゃまが、パイプを吸ってたり、普通の眼がねをかけたら、おかしくって見ちゃいられないと思う。

(出典:サン写真新聞

このユーモアセンスは祖父譲りだったのですね。

 

「バカ」の由来

「バカ」の語源には諸説あり、さまざまな説が由来となっています。

2月28日

古代インド・サンスクリット語が転じた説

古代インド・サンスクリット語では「無知」の意味する「moha」の発音が「莫迦(ばくか)」「暮何(ぼか)」に転じたとされています。

2月28日

日本では「ばか」という言葉は鎌倉時代から使われていた例があり、室町期に登場する「文明本節用集」では、「バカ」がさらに転じた「破家」の意味を「おろかなもの」「狼藉者」と解説しています。

その後の当て字として使われた「馬鹿」が現在に普及したというのが有力説のようです。

中国から由来した説

一方で、馬鹿の語源は中国から由来したとされる説も存在します。

2月28日

中国が秦の時代、趙高は皇帝である胡亥(=こがい・始皇帝の息子)の側近たちが自分に従う人物なのかを試すために鹿を用意しました。

2月28日

そして胡亥へ鹿を献上し、趙高は「馬を献上しに参りました。」と言います。

胡亥は鹿を見て「これは馬ではなく鹿だ」と返答しますが、趙高は「これは馬です」と言い切ります。

2月28日

胡亥は側近たちに「これは鹿だろう?」と尋ねると、その返答は、馬だというグループと鹿だというグループに別れました。

趙高は、この時、胡亥に同調して「鹿だ」と言った側近に罪を着せて殺害し、後に起こすクーデターのために、胡亥派の側近を全て排除しました。

これにより、権力をかざして矛盾を押し通したことから、馬鹿という言葉が生まれたという説があります。

2月28日

馬も鹿も賢い動物なので、現在使われている用途では彼らも納得できないでしょう。

暴言はほどほどにしたいですね。

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