2月25日 は”夕刊紙の日” 夕刊紙といえば大阪


夕刊紙の日は”2月25日”

1969年 2月25日 日本初のタブロイド判である夕刊紙「夕刊フジ」が刊行されました。

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これを記念して、2月25日を「夕刊の日」とされています。

2月25日

しかし、日本初の夕刊は1877年11月12日の「東京毎夕新聞」となっています。

タブロイド判とは小型サイズのことを言い、その日のホットな話題や速報を短くまとめたものを言います。

顧客層は帰宅する会社員や学生をターゲットにしているため、ライトな内容がメインです。

また、2月21日は日刊新聞発行の日となっています。よろしければこちらも御覧下さい。

現在ある夕刊紙

現在ある全国紙の夕刊紙は、夕刊フジ、東京スポーツ、日刊ゲンダイとなります。

2月25日

日刊ゲンダイは新聞ではあるものの、実際は雑誌扱いとなっています。

これは創刊時に「株式会社日刊現代」が、週刊誌の会社である「講談社」のため「日本新聞協会」が加盟を拒否したことが理由となっています。

しかし、国立図書館では「夕刊紙・スポーツ紙」のカテゴリーに置いてあります。

夕刊紙の内容

夕刊紙を手に取るのは夕方なので、内容は朝刊と比べて手軽なものとなります。

2月25日

また、紙面構成は娯楽がメインで、スポンサーは金融広告や求人、風俗広告が多くあり、週末発行の夕刊はJRA(中央競馬)の予想なども掲載されています。

そのため、夕刊紙は堅い日刊新聞より、マイルドなスポーツ新聞に近い位置です。

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また夕刊紙は、野球やサッカーなど、近年海外で活躍する日本人プレイヤーが増えてきたため、時差に対応でき、活躍の速報を伝えられるメリットがあります。

夕刊紙の歴史

夕刊紙は19世紀後半から刊行されました。

しかし、第二次世界大戦が勃発し、紙の節約や情報統制の目的のために、1941年に夕刊は規制されました。

2月25日

戦後に夕刊の規制は解除されたものの、当時の日本は紙が不足していました。

そのため、政府は全国紙の増ページを規制しましたが、逆に新たな夕刊紙を創刊するチャンスが生まれました。

その中でもとりわけ大阪で夕刊紙が普及し、新聞社は次々と設立されました。

大阪は夕刊紙が盛んだった

大阪府では夕刊紙が盛況で、駅の売店に行列ができるほどでした。

2月25日

その理由は、歯に衣着せぬ物言いと、筋が通っていて特定の団体やイデオロギーに偏っていなかったからです。

日本新聞年鑑には「此の新聞の本領は無色透明の大阪第一主義で(…)一寸亜米利加の州新聞の生立と似てゐる」と評価されています。

また、創業者の前田久吉の経営理念で「地域に根付いた生活に役立つ情報を届ける」スタンスを崩さなかったことが、大阪府民に支持されていたと言えます。

1980年代には「大阪新聞」「関西新聞」など夕刊紙は大量に発行されていましたが、時代の移り変わりやスマホの普及などを背景に、2000年頃に失速、次第に休刊へとなっていきました。

2月25日

当時、好景気に沸く日本では夕刊に載るスクープが多数あったと考えられます。

夕刊の普及と景気の流れ、どちらもリンクしているように感じられます。

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