1月31日 は”愛妻の日” ヤマトタケルは嬬恋村で姫を想う


愛妻の日は”1月31日”

2005年に設立した日本愛妻家協会により、 1月31日 を「愛妻の日」と制定されました。

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1を英語のIに見立て、「愛(I)妻(31)」の語呂合わせが由来となっています。

1月31日

日本愛妻家協会は「妻という最も身近な赤の他人を大切にする人が増えることで、世界は豊かで平和になる」をモットーとして活動しており、「8時9分にハグをする」「キャベツ畑の中心で愛を叫ぶ」などのオリジナリティ溢れるイベントを多数開催しています。

キャベツと愛妻

日本愛妻家協会では群馬県吾妻郡嬬恋村(つまごいむら)を拠点とするなど、愛妻に関して徹底しています。

また、嬬恋村で命名された「玉菜キャベツ」は特産品であり、キャベツの全国シェアは愛知県とともに日本一を競っています。

1月31日

キャベツが特産の理由は単純に気候や環境だけでなく、夫婦愛によって生まれた赤ちゃんがコウノトリによって、キャベツ畑に運ばれてくることが関連しているのかもしれませんね。

愛妻家はあって「愛夫家」はなぜ無い?

かつて、日本は男性の威厳が強く、妻に対しての愛情表現をひけらかす旦那は滅多にいませんでした。

そのため、人前で妻を愛す男性に対し、からかうように「愛妻家」と呼ぶようになりました。

一方の女性は立場が弱く、妻が夫を愛すことは常識とされていたため、「愛夫家」という言葉に議論の余地がありませんでした。

1月31日

妻を愛すべくして生まれた言葉が、男尊女卑から生まれたとは皮肉なものですね。

愛妻の原点はヤマトタケル?

嬬恋村というロマンチックな名称には起源があります。

1月31日

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嬬恋かるたに登場する「つ」の札に、日本武尊(ヤマトタケル)が残した一言「吾嬬者耶(あづまはや)」とあります。

吾妻郡 嬬恋はこの一言が由来ではないかとされています。(諸説あります)

1月31日

古事記によると、天皇家に生まれたオウスノミコトは九州で勢力を高めていた熊襲(クマソ)を討ち取りました。

オウスノミコトは、熊襲の弟であるオトタケルから実力を評価された後、強者の称号「タケル」を与えられ、それ以降「ヤマトタケル」を名乗るようになります。

1月31日

その後、京で弟橘姫(オトタチバナヒメ)と結婚しました。

婚姻後は弟橘姫と行動を共にしますが、東の国の平定に向かう最中、現在の静岡県あたりで船が大嵐に見舞われます。

弟橘姫は「女である私が、船に乗って戦に付き添ったために、海の神がお怒りになった」と考え、荒れ狂う波に投身してしまいます。

1月31日

すると、大嵐は静まり、海の神の怒りが収まりました。

ヤマトタケルは泣き妻を思い、嬬恋の鳥居峠(日本書紀では碓日坂の説もあります)の美しい光景を見せることができないことを悔やみました。

1月31日

その時に「吾嬬者耶(あづまはや)=ああ、恋しき我妻よ」と嘆いたという伝説が残っています。

1月31日

不倫が取り沙汰されている今日では、夫婦愛を確かめるためにも、愛妻の日は良い機会だと思います。

また、愛妻の日をきっかけに、普段とは違う愛情表現をしてみるのもいいかもしれませんね。

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1月31日 は”愛妻の日” ヤマトタケルは嬬恋村で姫を想う” に対して1件のコメントがあります。

  1. みえ より:

    私は女性なので、逆にオトタチバナヒメの歌

    さねさし相模の小野に
    燃えゆる火の火中に立ちて問ひし君はも

    ヤマトタケルノミコトはオトタチバナヒメを失った喪中なのに、ミヤズヒメと結婚しちゃうんです。
    この頃は複数の妻を持つ事は当然だったみたいです。

    私は日本書記で知ったのが、スサノオノミコトがヤマタノオロチの尾から取り出した剣の名はアメノムラクモといい、ヤマトタケルノミコトが焼き討ちにあった時にこの剣を使って周囲の草をなぎ払った事から草薙の剣と言われるようになったと知りました。

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