12月20日 は”マカオ特別行政区成立記念日”

12月20日 12月

マカオ特別行政区成立記念日は”12月20日”

1999年 12月20日 にポルトガルから中国にマカオの行政管理権が返還されました。

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12月20日

同日に中華人民共和国マカオ特別行政区が成立し、現在に至ります。この日は返還記念日として、マカオでは祝日となっています。

1997年にイギリスから中国に香港が返還された2年後の出来事でした。

マカオに渡来したポルトガル人

16世紀、最盛期を誇っていたポルトガルは、1513年に中国(明王朝)と貿易を開始します。

12月20日

当時のポルトガルは、東南アジアに植民地を持っており、そこを拠点としてキリスト教の布教活動を行うなど、圧倒的な外交力を持っていました。

そして、倭寇の被害を受けていた明王朝に、その討伐を協力したポルトガルは見返りとして、マカオの永久居留権を獲得します。(占領したわけではありません)

その後マカオを拠点として、イエズス会は日本にもキリスト教の普及活動を始めます。

鎖国の影響はマカオまで

12月20日

戦国大名などにも浸透し始めたキリスト教に危機感を持った江戸幕府は、キリスト教の布教を食い止めるために対外政策として鎖国を開始します。

徳川幕府が鎖国を断行したその背景には、1637年に起きた島原の乱がありました。

南蛮貿易(ポルトガル)は禁止され、貿易相手は中国やオランダを限定したため、ポルトガルは貿易活動が大幅に縮小されてしまいます。

12月20日

また、17世紀の明から清に移行する時代、清が民の鄭成功の勢力を削ぐため遷界令を発して貿易を禁じた影響もあり、マカオは一気に衰退しました。

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アヘン戦争による影響

イギリスが中国にアヘン戦争で勝利して、清から香港を獲得したことにより、ポルトガルもこの機にマカオの占領を始めます。

12月20日

ポルトガルは1845年に「マカオ自由港の成立」を宣言し、1862年、清はマカオにおけるポルトガルの統治権を認めます。

また、ポルトガルと清は1887年に「マカオを第三国に譲渡しないこと」を条件にした友好通商条約を締結して、永久的に占有することを承認されました。(ただし、統治権を認めただけであくまでも主権は清にあります)

1900年代のマカオは

ポルトガルは第二次世界大戦中は中立国であったため、マカオは東アジアの中立港として繁栄します。

しかし、日本と中国の戦闘が激化し、マカオには難民が大量に流入しました。

また、中立国ゆえに諜報活動が行われたり、領事館が狙われたりするなど治安が悪かったと言えます。

戦後もポルトガルはマカオの植民地支配を続けようとしましたが、反共産主義者であった当時の首相アントニオ・サラザールと「中華人民共和国」には軋轢がありました。

12月20日

そのため、1966年に中国共産党系住民による「一二・三事件」という反ポルトガル暴動が起こります。

この暴動を皮切りに、ポルトガルが弱体化していたことがあらわになって、影響力が低下し、中国共産党に屈服します。

そして、1974年にポルトガルで「カーネーション革命」が起きて政権交代し、ポルトガル新政権は海外植民地の放棄を宣言しました。

アジアから植民地が消えた日”1999年12月20日”

1984年に、アヘン戦争で獲得したイギリスと中国との間で香港返還についての交渉が始まると、それに影響されて1987年にはポルトガルと中国の間でマカオ返還の交渉が始まりました。

12月20日

そして返還は実際に1999年12月20日に行われ、マカオは中華人民共和国の特別行政区となりました。

この日、返還されたことによって、ヨーロッパ諸国によるアジアの植民地支配が消えたことになります。

しかし、事実上無くなったものの、実際には植民地支配と変わらない扱いを受けている国があることも否めません。

全ての国が対等な立場になれる日が来ることを願っています。

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コメント

  1. みえ より:

    フランシスコ・ザビエルは宣教師で有名ですね(^_^)
    あの絵は何歳くらいなんでしょうか?

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