12月19日 は”日本人初飛行の日” 初飛行によって爵位を取り返した偉業

12月19日 12月

日本人初飛行の日は”12月19日”

1910年 12月19日 代々木錬兵場で徳川好敏(とくがわ よしとし)工兵大尉が日本人初の動力飛行に成功しました。

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代々木練兵場とは現在の代々木公園で、日本初飛行の地として記録されています。

12月19日

好敏は、50馬力のエンジンを搭載したフランス製アンリ・ファルマンⅢ型複葉機でフライトし、その記録は、飛行時間は4分間、飛行距離は3000m、飛行高度は70mとされています。

12月19日

ライト兄弟が1903年12月17日に動力飛行に成功した約7年後に、日本も初飛行に成功していました。

当時、動力飛行技術は希少なものだったので、日本の技術力の高さが伺えます。

初めて空を飛んだ日本人”徳川好敏”

12月19日

「徳川」と言われてピンとくると思いますが、田安、一橋と並んだ将軍家御三卿の一つ、清水徳川家の八代目当主です。ちなみに御三卿ですが、清水家は徳川将軍家を継いでいません。

軍人として最終階級は陸軍中将で、華族としての爵位は男爵にあたります。

優秀な人物で運動神経が良く、士官学校時代は工兵科をトップで卒業しています。

しかし、その人生は波乱万丈なものでした。

爵位を返上した父・徳川篤守

父である徳川篤守は、十五代将軍徳川慶喜の甥にあたります。

1871年、篤守は政府派遣留学生となって渡米し、コロンビア大学に留学しました。

12月19日

修了し帰国後、日本の外務省で仕事をしていましたが、アメリカの文化に触れた篤守は自由平等主義を掲げるようになります。

やがて、お人好しの性格に付け込まれて多額の借金を背負ってしまい、華族としての体裁を保てなくなってしまいます。

自由平等主義の篤守は、爵位にあまりこだわりを持っておらず、すんなりと爵位を返上してしまいましたが、その行為が徳川一門の名家としてありえないと、清水徳川家は冷遇されるようになりました。

没落していく清水徳川家に、謂れのない誹謗中傷を受ける子・好敏は、その逆境のなか奮起し、ついには士官学校工兵科を首席で卒業します。

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その後起こる1904年の日露戦争では、情報将校として第一軍参謀部に派遣され、スパイ教育をする諜報活動責任者に抜擢しました。

ファルマン飛行学校に入学

1910年4月に「臨時軍用気球研究会」会長である長岡外史中将からの命令で、フランスの小さな町「エタンブ」にあるファルマン飛行学校に入学します。

入学生にはフランスやイギリスなどからも来ており、日本からは好敏と日野熊蔵陸軍大尉が留学しました。

12月19日

同年8月に操縦士資格試験に合格し、その後ファルマン式複葉機を購入しました。その金額は1万5000円で、現在の価格に換算すると約6000万円ほどです。

そして、帰国した好敏と日野熊蔵は、12月19日に日本でのテストフライトの日を迎えます。

命懸けのフライト

1910年12月19日「臨時軍用気球研究会」主催によるテストフライトが決定しました。

開催地となる代々木練兵場には10万人を越える大観衆が集まり、歴史的快挙を、固唾を飲んで見守ります。

12月19日

日野熊蔵が使用するグラーデ機が飛行準備態勢に入りましたが、発動機が回転しないマシントラブルに見舞われます。

そのため急遽、好敏が先にフライトすることになりました。

しかし、好敏が使用するファルマンも如何せん調子が悪く、発電機が故障しています。

どうすればいいか考えた結果、臨時で発電機から硫酸式電池に変更しました。

操縦席の真後ろに硫酸を抱えながら飛ぶようなものなので、一歩間違えたら全身に硫酸を浴び命を落としかねません。

さらに、操縦ミスで墜落した場合も命の保証はありません。

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その状況で、10万人の大観衆が見守る中、決死の覚悟で好敏はフライトを成功させました。

爵位を取り戻した清水徳川家

12月19日

フライトを成功させた好敏は、爵位を失くした以前の汚名を返上し、日本航空界の発展を讃えられて「男爵」の称号を与えられました。

既に亡くなっていた父・篤守の墓前にも快挙を報告し、その後は「日本航空界の開祖」として、世界でも評されます。

1936年8月には、好敏は航空兵団長として空軍トップになり、天皇直属の部隊を任されるようになりました。

1963年5月に78歳で亡くなりましたが、その生涯は飛行機一筋で、晩年もずっとフライトしていたと記録されています。

清水徳川家の信用を回復し、日本航空界に残された偉大なる実績は、今尚その功績を讃えられています。

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コメント

  1. みえ より:

    本当の初飛行は、12月14日の日野熊蔵がしてるんですよ。
    二メートルの高さで百メートル余り、16日には高度三メートル、距離百メートルを飛行したのに、日本の航空史では、日野熊蔵の飛行は、公式の飛行実施予定日ではなかったため「滑走の余勢で誤って離陸」したものとして記録は認められなかったんだって。
    可哀想だね( ̄▽ ̄;)

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